●はじめに「やけっぱちのマリア」について
焼野八矢。人呼んで「やけっぱち」は気が短く、直ぐに手が出る手がつけられない不良中学生だ。そんなやけっぱちに子供ができた。母親は誰だ?否、母親は居ない。ではどういう意味なのだろう。実はやけっぱち自身に子供が出来た(と主張している)のだ。処女懐胎ならぬ童貞懐胎?突然奇妙な事を言い始めたやけっぱちに茶々を入れた不良たちと早速喧嘩になるものの、多勢に無勢のやけっぱちは袋叩きにあってしまう。すると気を失って伸びているやけっぱちの鼻から突然白いモヤが出てきた。しかもただのモヤじゃない、よく見ると人の形をしている。それを見た不良たちは恐れをなして蜘蛛の子を散らす様に逃げていったのだ。
モヤの招待を突き止めるべく、とある有名な霊能者の元を訪れたやけっぱち。モヤの正体はやけっぱちのエクトプラズムであった。エクトプラズムとはフランスの生理学者「C・R・リシュ」が生み出した造語で、交霊すると発生する正体不明の物体である。本作では生き霊とも言われていた。やけっぱちが「子供ができた」と言ったのはこれが原因だったのである。やけっぱちの身体から出てきたエクトプラズムは、彼とは別の意思を持ち、思考をするが、性格はやけっぱちのものを色濃く引き継いでおり、気が短く喧嘩っ早い。そして性別は女性であった。
エクトプラズムは霊体のままで居ることを嫌がり、身体が欲しいと訴えた。そんな要求に困ってしまったやけっぱちだが、父親(ヒゲオヤジ)が副業で作っていたダッチワイフをあてがう事で見事憑依に成功し、マリアが誕生するのだった。
●性教育マンガとしての「やけっぱちのマリア」
本作は学園ラブコメの体裁でありつつ、性教育マンガとしての面が強い。こういった作品は当時にしては珍しいものではないだろうか。やけっぱちは短気な性格から大の勉強嫌いである。中学1年ながら2回も落第しており当然、性に関する知識もなにもない。そんなやけっぱちに、唯一目を掛けている秋山先生が思春期のホルモンがどう心身に影響を与えるのか、子供はどういう仕組で生まれるのかを懇切丁寧に分かりやすく図解で説明してくれる。同じ様な作品として赤塚不二夫「ニャロメのおもしろ性教育」という作品がある。こちらではアッコちゃんの裸が見られるので、本作と合わせて是非、読んでいただきたい。
●ダッチワイフのマリア
連載当時、1970年のダッチワイフはビニル製であった。空気を入れてやると口と股間がポッカリと開いた穴があるもので、1960年代に大流行したダッコちゃん人形を彷彿とさせる表情だ。日本のダッチワイフの誕生はダッコちゃん人形からさらに遡ること1957年。南極越冬隊の備品として持ち込まれたという説があり、この逸話から「南極1号」と一般的に称される。当時は南極1号よりも昭和基地に置き去りにされた「タロとジロ」を描いた映画「南極物語」が国民の胸を射止めていたが、タロとジロと共に「南極1号」も主人の帰りをジッと待ち続けていたと思うと股間から涙が止まらなくなる思いだ。
さて、マリアと南極1号を比べてみよう。明らかに品質が違う事が伺えるだろう。出る所は出て、引っ込む所は引っ込み、目は大きく瞳は爛々と輝き、鼻筋はしっかり通っている。製作者であるヒゲオヤジの拘りというか執念の様な物を感じる。本作では裸の描写が多いものの、ついぞマリアの乳首をお目にかかる事はなかった。ボス・ナンバーワンの乳首描写はあるので、もしかしたら当時の製造技術の限界によってそもそもマリアには乳首がないのかもしれないが、私個人としては到底許容できるものではないので、至極残念である。
●ダッチワイフについて
日本の性風俗産業の市場規模は凄まじい。その額は年間5.4兆円と言われるが、これは日本の年間防衛費にも迫る金額であることから規模の大きささが理解出来るだろうか。アダルトビデオや風俗、アニメ、ゲーム、マンガ、そしてアダルトグッズ。都市部、地方関係なくこれらを扱った店を見かけるはずだ。個人的には暖簾をくぐると目の前に広がるあの空間や匂いが好きなのだが、今は店まで出かける事無くインターネットで容易に入手できる時代だ。セックスレス大国日本の裏には性風俗の発達が関係している事は疑いようの無い事実であるが、この事については別の機会に話ができればと思う。
それでは1957年に誕生した日本のダッチワイフは、60年という歳月を経てどの様に進化してきたのか、数年前に自ら体験取材をした際の話を交えて話していきたい。現在、日本ではそれまでの空気封入式のビニル製から胸、口元、臀部、女性器の一部を型どったシリコーン製、そして全身シリコーンで作られた等身大のものがある。後者になるにつれて価格が上がっていき、最高級品では素体だけで60万円を超えるものもあるのだ。しかし、近年では中国製の比較的安価なものが出回り始め、数万から十数万円で等身大ダッチワイフ(ラブドール)を楽しめることが可能だ。身体の一部を型どった製品では、ダッチワイフというよりもオナホールの発展型であり、製品によっては口、女性器、胸を一つで楽しめるコスパの良い製品も存在するが、そのヴィジュアルたるや異形そのもので、勃つものも勃たたないだろう。逆にそれに興奮する諸兄らには尊敬しかない。そして最も安価なビニル製のものは初心者にはうってつけ・・・ではなく、逆に玄人向けの製品だ。これも複数の製品があり、着色され表情が描き込まれているものや、透明でトルソー型のものもある。前者はビニルの造形の限界からかパッケージ絵(理想)と製品(現実)の落差の大きさに勃ちあがれなくなってしまうだろう。後者は少し用途が異なり、トルソー型なのでコスチュームを着せやすいことから、制服やアニメキャラクターのコスチューム、スクール水着等を着させたりすることが可能だ。よって、トルソー型はコスチューム自体に性的興奮を抱く人におすすめなのである。また、手足が付いていないので、ダルマ女フェチの人の需要にも答える事が可能だ。
まだどれを購入するかお悩み中の読者諸君におすすめのサービスがある。ビニル製やオナホ型は場所を取らずに安価で比較的手を出しやすいが、等身大ラブドールになると様々な問題が生じてしまう。そんな種々の問題を解決するのが、ラブドールのデリヘルである。言い方を変えればレンタルサービスだ。店にもよるが数十分から数時間のコースがあり、指定されたホテルまたは自宅に運んでもらい、時間がくると回収にくるというシステムだ。価格は一般的なデリヘルと同等か、若干高いといった印象だ。なので、1万円から数万円という価格になるものの、購入するよりも手軽に楽しめる上、自宅に置くというリスクを避けることが出来るのでこれも賢い選択のひとつかもしれない。
そしてデリヘルと別にラブドールに興味を持った人が製品と触れ合える場所がある。それはダッチワイフを強いこだわりと高い品質で革命を起こし、未だ業界の最先端をひたはしる「オリエント工業」のショールームである。
●オリエント工業ショールーム
オリエント工業は1977年に創業された高級ラブドールの企画・製造・販売を行う会社である。創業当初は障害を持つ人達への性的な補助具として販売され、一般向けの販売は行われていなかった。現在でもその理念を守り、障害者割引きを行っている。こういった一貫した姿勢は非常に好感が持てる企業だ。
同社の製品は世界中に愛好家が多く、販売の大半を輸出が担っている。そんなオリエント工業の製品は、肌のきめ細やかさや表情、体型、オナホールからアフターサービスに至るまで拘っており、それが価格に反映されている。先に述べた様に価格が価格なだけにおいそれと購入できない。そういった声に答えたのがショールームなのだ。
ショールームがあるのは東京都台東区の御徒町駅から昭和通りへあること5分ほどの雑居ビルの中だ。わたしがここを訪れたのは今から8年前の2014年。当時からオリエント工業のラブドールのクオリティについては聞き及んでいたものの、実物と対峙したことが無く、このショールームの存在を知って友人と共に訪れることにした。ショールームを訪れるにあたって、HPを見てみるとラブドールを扱うという性質上、プライバシーを十分に配慮するため事前に予約を入れる必要があることからわたしは13時過ぎに予約を入れた。季節は6月末。晴れ渡る空とム排ガスと湿気を帯びた空気を吸いながら御徒町駅から徒歩で向かうと、道端に置かれた「オリエント工業ショールーム」の文字を見つけ、不安と期待と性的興奮を抱きつつ、インターホンのボタンを押した。
金属製の扉がそっとひらくと、目の前には三つ揃えのグレーのスーツを着た紳士が私達を迎えてくれた。柔和な表情で出迎えてくれた紳士は口元にヒゲを生やし、まるでアリスのチンペイそっくりの風貌だったのが印象的だ。彼に促され、ショールームへと足を
踏み入れると赤い絨毯が敷かれ、様々なラブドールたちが一列に並んでいる。私達は紳士から会社の歴史や理念などの説明を受けた後、優しい口調で「ここは紳士・淑女が訪れる場所ですので、おふざけで来る所ではございません」と嗜まれしてしまった。完全に私達は見透かされたのである。その言葉を受けて、気持ちを切り替えて真剣にラブドール、いや彼女たちと向き合う事を心に誓ったのだ。
●はじめての触れ合い
「それではご自由にお触れ合い下さい」と紳士は私達に告げるとその場を離れていった。これは人の目があると中々恥ずかしいものだからそれを配慮してのことだろう。さて、目の前には何体ものラブドール...いや何人もの彼女らが佇んでいる。誰にしようか吟味しているのも時間の無駄だし、「ええい、ままよ!」と眼の前にいた彼女の手に触れてみた。第一印象は、さわり心地はスベスベというより粉っぽい感じ。シワや毛穴の造形はされていないので正直、作り物感は否めない。しかし、指先を見てみると付け爪にマニキュアが塗ってあり、ほんのりと赤味が差している。爪に触れてみると、ん?なにか心がざわつく感覚が。爪を爪で軽くこそぐってみる。なんだかこっちもこそばゆい感覚が沸き起こる。思い切って抱きしめてみる。髪が鼻にかかると鼻腔を甘い香りが満たされた気になった。はたと彼女から身を離して顔をみると目の前に整った顔が現れる。しかし生気は感じられない。とても不思議な感覚だ。もう一度、顔をじっくりと観察してみる。目はぱっちりと見開き、睫毛は天を突き、表情に凛々しさを強調させる。唇はぷっくりとした形に赤く水まんじゅうの様な水々しさがあり、なんとも艷めかしい。下顎を親指で押さえてみると口が少し開いた。すると真っ白な歯が出てきた。ッハとして咄嗟に顎から手を引いてしまった。まるで彼女に同意を得ずに無理やり触れてしまったという罪悪感がよぎる。しかし彼女は文句の一つも言わず、視線や表情も全く変えずにその場に立ち続けている。得も言えない感情が私の中を渦巻き、その時はただ「違和感」と表現する他なかった。説明できない違和感を抱きつつ、個人的なメインディッシュとなる胸を触れることに。まずは服の上から触ると、ふむ、こんなものか。特にこれといった感動や違和感はなく味気ないものである。では、直に触れてみよう。無意識に生唾を飲み込みながら右手を服の間を滑り込ませる。サラサラというかカサカサというか、先に触れた手と同様に粉っぽい感触が手の平に伝わってくる。その感触を味わいつつ、その手を進めていくと徐々に指先は大きな曲線を持った塊によって阻まれしまう。その塊の曲線に沿って指を滑らせていき手の平全体で包み込むと私は大きく深呼吸をし、指を折り曲げた。塊は必死に抵抗をするが、私の指には抗えずその形を変化させていくのだった。思ったよりも強い抵抗感を感じつつ、指を広げたり閉じたりを数回繰り返したのだ。しかし塊の主の反応が全く無い。私は少し寂しさを覚えながら手をそっと引き抜いた。
残念ながら胸は硬い。これは現実味と実用性を考慮しての硬さであり、柔らかすぎると強度に問題が生じるためだと紳士は説明してくれたが、理由は理解できるものの私としては承服しかねる。あの水球のように柔く、きめ細かい皮膚細胞に内包された湿潤な感触は残念ながらそこにはなかった。
●メイン機能の実力
初夏の熱気と初めとなる経験に頭がのぼせていた私だが、メインとなる重要な機能の確認を行うこととなった。それは人工膣、いわゆるオナホールである。女性器の代替の歴史は長い。恐らくは有史以前、我々が原人と呼ばれた時代から存在していると言っても過言ではないだろうか。大航海時代においては世俗と隔離された船上で代替となったのは羊であったし、日本ではエイのそれはまごうことなき女性器の感触と聞くに及ぶ。さらに栄養価が無いが毒抜きのために複雑な工程を経ることで製造されるこんにゃくは、食べ物と言うよりも女性器の代替が目的であったのではないかと邪推してしまう。
戦後になると片栗粉を用いた「片栗粉X」なるものや、伸び切ったカップ麺を用いるものまで、男子たちの飽くなる探究心と多くの犠牲を払いつつも様々な代替品が生まれていった。これらの自家製以外にも類似品は様々なメーカから販売されて、専門店や通販、自販機などから購入ができたものの、羞恥心を押し殺して購入するにはハードルが高く、品質も得てして良いものではなかった。そんな業界に革命を起こす製品が2007年に登場した。それは読者諸君も愛用しているTENGAである。それまで猥雑だったり何故かふぐの形をしていたオナホールとは一線を画し、部屋にそのまま置いていても違和感の無いスタイリッシュなデザインとなっている。そしてTENGAはそのデザイン性に加えて使用感にも拘り、有識者からは本物よりも具合が良いという意見が噴出し、様々なキャンペーンや口コミによって一気に周知され、今ではホワイトデーや誕生日プレゼントの定番となっている。余談だが、私も友人への誕生日プレゼントとしてTENGAを持っていった所、他の友人もTENGAを持ってきており、ブッキングしたというエピソードからも当時の人気が伺える、現在では専門店だけではなく、ドラッグストアでも取り扱っているのほど身近な製品となった。
さて、話をもどそう。ダッチワイフ(ラブドール)にとってオナホールは非常に重要なパーツである。南極1号などが登場した当初は、シリコーン製のオナホールはまだないため、ポッカリと開いた穴にワセリンを塗って使用していた。トルソー型等のビニル製のものは既成のオナホールを装着することが可能で、手間と衛生面においても向上している。ラブドールでも装着式と一体型があるが、後者は清掃に難があることから一般的には装着式であることが多い。オリエント工業ではオナホールも開発しており、ショールームで実際に体験することが可能だ。体験と聞いて生唾を飲み込んだ読者諸君には申し訳ないが、体験と言っても指を挿入すると言うことだ。そもそも指先は神経が集中している訳だから理にかなっているのだ。紳士は私達の前に3種類のオナホールを置き、それぞれ「数の子天井」、「巾着」、「みみず千匹」を模したオナホールであると説明してくれた。どれも古くから伝わる女性器でも名器と呼ばれるものだ。指先にローションを塗り、まずは数の子天井を試す。指の腹を上にしてゆっくりと挿入していく。すこし狭い穴を押しのけながら指が奥へと進んでいく内に明らかにが感触が変化した。どことなくツブツブした感覚が指先を襲う。指を前後させるとツブツブがプリプリとして小気味いい。なるほどこれが数の子天井かと感心してしまった。続いては「巾着」に指を入れてみる。先程よりも入り口が狭く、まるで指を押し出そうとする。そんな抵抗も虚しく、私の指は前へと突き進んだ。指を前後させるとまるで絞り込むような感覚を指先全体に感じる。入り口が狭いから巾着とは言い得て妙である。そして3つ目の「みみず千匹」。再びローションを塗って指を挿入してみる。入口付近は数の子天井と同じか。そのまま奥へと進めていこうとすると指先がゾワゾワしてくる、中のひだがまるでみみずが指を這うように感じる。一瞬虫唾が走ったものの、その不快感は直ぐに快感へと変わってしまった。「これは凄い!」私は思わず声をあげた。指を前後させる度に指先から快感がせり上がってくるのだ。時間と我を忘れかけたが、隣にいる友人の存在を思い出し、なんとか冷静さを取り戻した私は、オリエント工業の技術力の高さにただただ尊敬をする他なかった。一通り楽しみ私達はショールームを後にすることにした。雑居ビルから出ると初夏の青空が私達を出迎えてくれる。約1時間ほどの体験だったが何者にも代えがたい貴重な体験をしたと胸の中は踊っていた。
●違和感に隠されたエロス
めくるめく初体験を終えた初夏から数か月後、私は銀座にあるヴァニラ画廊に居た。そこでは「人造乙女博覧会Ⅳ」と称してオリエント工業のラブドールの展覧会が行われてたのだ。会場にいくと数か月前に会った彼女らが居た。既に顔見知りということもあり、久しぶりに友人に出会った気持ちで見物していると、彼女らに実際に触れられるコーナーを見かけ、初めて触れた時のあの感覚を求めてもう一度手を伸ばしてみることにした。相変わらず、粉っぽい触り心地で胸も硬い。ショールームと違ってその子は裸で椅子に座っていた。近づいて細部まで観察してみると、それまで気づかなかった繋ぎ目を見つけた瞬間、それまでの抱いていた違和感と、その違和感こそがラブドールにおけるエロスの根源なのだと気づいてしまったのだ。
話を順序立てて説明していこう。
先ずはそれまでの違和感とは何だったのか。ずばり「不気味の谷」である。不気味の谷とは1970年にロボット工学者である森政弘が提唱した創作物(絵や写真、彫刻等)における人間描写に対する心理現象を指す。人間を造形した絵や彫刻を目の当たりにした際、人間へ類似性が増加するほど好感度が増加していくのだが、類似性がある点を超過すると急激に不快や恐怖、嫌悪感を抱き始める部分を「不気味の谷」と呼ぶ。それからさらに類似性が上がるに連れて好感度が上昇していくのだ。読者諸君らにも不気味の谷を感じる場合があるかと思う。例えば蝋人形。精巧に作られた蝋人形は一見、人間と見間違えてしまうかもしれないが、彼らは息をしないし微動だにしない。その場をただただ突っ立っている姿を目の当たりにして、奇妙な感覚を抱いたならそれが不気味の谷である。これはラブドールにも生じる現象で、遠くから見た印象と実際にラブドールを触れた印象が大きく異なる。彼女らは成功に作られているとは言え人間のそれとの違い、そこに違和感を抱くことになるのだ。人間は良くよく観察してみると常に動いている。たとえば直立不動に見えても息をすれば肩は揺れるし、バランスを取るために絶えず身体を動かしているのだ。こういった動きを我々は無意識下で感じ取っているのだ。死体と生きている人間の印象に差異にもこういった部分が大きく影響すると考えられる。ラブドールを見慣れない間はこういった部分から無意識に「人間では無い何か」という印象を抱き、様々な感情が発生してしまうのだろう。
次に違和感に隠れたエロスである。彼女らと2度に渡って対峙してみた所、あることに気付いた。先にも述べたが、違和感こそエロいという事である。ラブドールは一見人間ではあるが、所々人間とは異なる別の生物である様に捉えられる。すると「人間でありながら人間では無い何か」に対して好奇心が湧き始める。自分自身やそれまで触れてきた女性たちのそれとは違う肌や胸。しかし人間のそれとよく似ている部分もある。その違いこそエロスの根源であり、近くで観察した際に見つけた「つなぎ目」こそそれが非人間たる決定的な証拠だったのだ。
ラブドールを一人の人間として捉える人もいるだろう。だが、人間の様で人間でない異形として捉え、そこにエロスを感じる事ができるのだ。こういった性的趣向は人形フェチと同位であり、その延長線上にきぐるみフェチやロボットフェチ、石化フェチ、そして死体フェチにもつながっていくのだ。
こういった不気味の谷のエロスはそう珍しいものではない。その最たる例は1970年代から世界的に活躍しているイラストレーター「空山基」であろう。彼は無機物で構成されたロボットと有機物かつ曲線で構成された女性を融合させたエロティックなイラストで話題になった。寺沢武一「コブラ」に登場するアーマロイドレディも彼の影響を受けたと思われる。その後にもメカと少女を融合させたキャラクターは攻殻機動隊やMS少女、武装戦姫などに引き継がれている。
今後ロボット技術はさらなる発展をし、近い将来セクサロイドの登場を夢物語ではない。その時、より人間へ類似することで不気味の谷を克服した製品が出る一方で、不気味の谷に隠れたエロスに気付いた人々はどういった行動をして文化を創生していくのだろうか。今から楽しみである。