読者諸君は恋をしているだろうか。恋は人生を彩る一つのスパイスの様なもの。幸せな事もあれば一生、傷跡が残り続けてしまう事もある。そして人の恋路は千差万別。様々なスタイルがあるからこそ面白いのである。
さて、「おたく」は元来、孤独な人種である。劣等感や独特な世界観や表現力の乏しさから一般社会から浮いてしまい、独善的な思想に走りやすくなる。そんな彼(彼女)らを受け入れられる異性は少数かつ、お互いに異性へのコミュニケーションにおいては非常に消極的になりやすい傾向から、パートナーを見つけることは当然、困難である。すると彼らはより一層、自閉してしまったり逆に攻撃的な言動が多くなったりしてしまうのだ。とは言え、おたくは人間であり、生物である以上は生存本能としての「子孫を残す」という自然界の絶対的な摂理の上に生きている。それでは彼らはどうやってそれを解決したのか。ずばり架空の人物を対象としたのだ。一般的にはおたくはアイドル、声優、マンガ・アニメ、フィギュアなどを恋愛対象としていると認知していると思う。近年では「Vtuber」というYoutube上でフェイストラッキングした3D美少女キャラクターがトークや歌を歌うというジャンルが人気を博している。これはアイドル要素と声優要素、そしてアニメキャラクター要素で構成された複合的なコンテンツで、おたくの好きなものをかけ合わせたまるでいちご大幅のようなものだ。後述するが、こういったコンテンツはファンが熱狂しやすく、しばしば炎上騒動を起こすことになる。実際、直近では「潤羽るしあ」というVtuberと2021年の紅白に出場した「まふまふ」との同棲疑惑に端を発した炎上騒動がネット界隈で話題となっている。Vtuberの件に限らず、アイドルや俳優の熱愛報道などによってしばしば過激なファンの悲痛な叫びを目にすることがある。
こういった現象は戦後ないしは戦前、いや元を辿れば人類史の一側面として常に起き続けているのだ。そもそも「アイドル」の語源は英語の「idol」であり、偶像・崇拝される人や物であるわけだから宗教における偶像崇拝まで歴史を辿れると言っても過言ではないはずだ。各国に根付く世界宗教である「キリスト教」において、神の子で救世主のイエス・キリストを処女懐胎した聖母マリアを崇敬する「マリア信仰一派」を始め、中世ヨーロッパにおいては「アルレアンの乙女」と呼ばれたジャンヌ・ダルクはフランス国のヒロインとして民衆の支持を集めた。日本においては邪馬台国は女性である卑弥呼が治めていたわけだし、現代に目を移せば第二次世界大戦前後の偉大なるロックスター「エルヴィス・プレスリー」や、60年代のアメリカ国のセックスシンボルとして世界中の男を魅了した「マリリン・モンロー」などもそうであろうか。
・戦後日本のアイドルブームと親衛隊カルチャー
戦後、日本におけるアイドル創世記に熱狂的なファンを総称した「親衛隊」と呼ばれる集団が形成され始める。1970年代はキャンディーズに全キャン連(全国キャンディーズ連盟)が、ピンクレディーにJPC(ジャパン・ピンクレディー・サークル)が誕生する。その後、80年代のアイドルブームと共に親衛隊文化も流星を極め様々な集団や派閥が形成され、ファンの熱狂と暴走は1980年代に最高潮へと達する事になる。1986年に婚約を発表した松田聖子の後継として注目を浴びていた「岡田有希子」が所属する事務所のビルから飛び降り、自殺してしまったのだ。そのニュースは即日各種マスメディアが報じ、特に週刊誌に至っては事故現場直後の写真(脳みそを撒き散らした凄惨なもの)を掲載するという過熱ぷりであった。するとこの自殺報道に呼応し、熱狂的なファンが後を追う様に自殺をするという、いわゆる「後追い自殺」が1ヶ月で30人を超えるという社会現象を起こすことになる。後に岡田有希子のニックネームから「ユッコ・シンドローム」と名付けられ都市伝説として現代でも語り継がれている。
また、昨年話題となった三浦春馬の自殺の際にも後追い自殺が危惧され、その後、自殺した竹内結子も三浦春馬の自殺が少なからず精神状態へ影響したのではないかと関連付ける人も少なくない。そして親衛隊カルチャーは90年代のバンドブームの到来と共に急激に収束していった。
・新風を起こした「おニャン子クラブ」
1985年、それまでのアイドルとは一風変わったアイドルが誕生する。それが「おニャン子クラブ」の登場だ。それまでのアイドルは1人ないしは2、3人程度だったが、おニャン子クラブは結成当初から11人という大所帯で、その後は脱退と加入を繰り返して解散時には19人、延べ52人という数になる。おニャン子クラブはその数を武器に様々な個性を持ったメンバーを取り揃え、多様化し始めたアイドル像を1つのユニットとして取り込むことに成功したのである。これによってそれまでの親衛隊とは変質していき、ファンはアイドルユニット全体ではなく、アイドル単体に集中し、先鋭化する。
・90年代のバンドブーム
1990年代はアイドル冬の時代と呼ばれている。1989年から始まった深夜番組「三宅裕司のいかすバンド天国」を端に発して現在でも音楽シーンで活躍するバンドを輩出していった。そしてヴィジュアル系(V系)バンドの登場も相成って、熱狂的な女性ファンが多く誕生し、それらを総称して「バンギャ(バンドギャル)」と呼ぶようになった。バンギャは徐々にメンヘラカルチャーの一翼として認知されるようになるなど、これはこれで興味深いテーマなのだが、今回は割愛する。
・創作物におけるヒロイン像の変化
1980年代はありとあらゆる所でサブカルチャーが隆盛し始めた時代である。その一つに現代のアニメ・マンガカルチャーの地続きとして頭角を表したのがエロゲである。エロゲはNECが発売したPC/AT互換機「PC-88」「PC-98」が主な市場で、現在でも有名なソフトメーカもこぞって企画開発を行っていた。エロゲ黎明期は攻略対象は1人しか居ないのが当たり前であったものの、コンテンツの成熟と機械の機能向上と相成って、複数ヒロインを攻略できる作品が主流となってくる。エロゲに登場するヒロイン達は記号化された美少女であり、ここで培われたシステムが後の「ハーレムもの」としてメディアを越えて拡がっていく。
そして、1994年にコナミが「ときめきメモリアル」を発売し人気を博した。マンガにおいても複数ヒロインという設定は流入し、1998年から連載が開始した赤松健「ラブひな」は複数ヒロイン(ハーレム)もの漫画の草分け的な作品となった。エロゲに話を戻すと、2000年代に入るとシナリオ性がさらに向上して読み物としての質を高めた「泣きゲー」というジャンルが話題になると、ヒロイン内面をさらに深堀りされることでキャラクターの魅力がさらに向上した。
・AKB48の誕生(集団から個への転換)
2005年になるとおニャン子クラブをプロデュースした秋元康が新たなアイドルユニット「AKB48」をデビューさせる。おニャン子クラブでは最大19人だったメンバーを48人まで拡大し、活動拠点をおたくの聖地、秋葉原とすることでおたくをターゲットにしたマーケティングを展開。AKB48は大所帯であるが故、それぞれ3チームに分けられた上にファンの人気投票によるメインチームのセンターの選出を行ったいた。投票券はCDの購入特典出会ったため個人で何百枚ものCDを購入する人物も出現し、あきらかに過熱状態であった。投票券以外にも握手券目的に大量購入するファンが後を立たず、それまではアイドルグッズを購入しても自慰行為かコミュニティ内でのマウントを取ることしか出来なかったのだが、大量購入することで選挙結果に影響を与えたり、実際に握手を出来るようになるため、アイドル全体というよりも各メンバーに集中する現象が起きる。これを「推し」と呼び、現在ではアイドルのみならず自らが好きなキャラクターや作品などを指す言葉として使用される事も多々見受けられる。
・デジタルコンテンツに対する価値観の変質
以前、ヒッピーとインターネットカルチャーの関係について紹介した。そこではヒッピーの共有財産という価値観がインターネットカルチャーに根付いており、それがフリーソフトやWinnyなどのファイル共有ソフトの広がりに繋がったと語った。しかし、近年ではAmazon Prime VideoやNetflix、Apple Musicなどに代表されるサブスクリプションというビジネスモデルが一般的なユーザーに広がっており、それまでのデジタルコンテンツ=無料という図式からデジタルコンテンツ=無料=違法となり、デジタルコンテンツ=有料という価値観が根付いた。これはオンラインゲームのダウンロードコンテンツに始まり、スマホの普及によるソーシャルゲームの課金システム、電子書籍の普及などデジタルコンテンツにお金払うという事が常態化し、抵抗がなくなった為だと考えられる。当たり前の話だが、それまでの無料でコンテンツを楽しむというのはグレーゾーンであるから、現在が健全で当然な価値観なのである。
・ソーシャルゲームの広がり
ソーシャルゲームは今日、基本プレイ無料と謳う広告を様々な媒体で見る。こういったアプリのビジネスモデルは基本的なプレイは無料であるが、キャラクターの強化アイテムや強いキャラクターを手に入れるためには課金しなければならないというものだ。課金をしても素直にアイテムなどを入手できるかと言ったらそうではなく、ゲーム内で抽選を行う所謂「ガチャ」を回す必要があるのだ。欲しいアイテムやキャラクターを求めて月に数万円をかける人もザラにおり、破産してしまう例も少なからずある。一節ではパチンコの衰退はソーシャルゲームが大きく寄与しているとの説もまことしやかに囁かれているのだ。
・声優のアイドル化とIDOLM@STER
アイドルとアニメはとても相性が良い。アニメが盛り上がり始めた1980年代、女性声優がフィーチャーされ始める様になる。「クリーミィマミ」や「マクロス」では、キャラクターの設定としてアイドルが採用されていたりと、おたくカルチャーがとアイドルカルチャーは近親ないしは同質だったのだ。その後、声優活動のみならず歌手活動も行うアイドル声優というジャンルが確立しはじめ、椎名へきるや日高のり子などが人気を博すようになった。90年代に入るとこういった流れは加速していき新世紀エヴァンゲリオンの宮村優子、林原めぐみが一世を風靡した。そして2000年代。涼宮ハルヒの憂鬱で涼宮ハルヒを演じた平野綾はアイドル顔負けのルックスによって、声優のアイドル化が盤石なものとなった。
時間軸は前後するが2005年にはキャラクターの為の声優から声優のためのキャラクターと概念をひっくり返したコンテンツが誕生する。それがナムコが発表した「IDOLM@STER」である。現在ではソーシャルゲームとしての認知度が高いが、もともとは2005年にアーケードゲームとして稼働を始めた。AKB48の活動と同じ年であるのは偶然だろうか。IDOLM@STERの成功によってキャラクターのみならず、それを演じる声優にも注目が集まり、キャラクターと声優との境界が曖昧になっていったのだ。いわゆる「アイドルもの」はこれをフォーマットに様々なコンテンツを生み出し、社会現象を起こすことになる。
・「推し」という概念の誕生
1人ないしは少人数だったアイドルは複数人でのグループを組むことになって久しい。メンバーのキャラクター性を豊かにすることで様々なファン層を取り込むことに成功した。そしてそれはアイドルグループ全体というよりも各アイドル個人へファンが付くという事になり「推し」という概念が生まれ、先述したアイドルもののコンテンツにも影響を与えるようになる。
・曖昧になった2次元と3次元の境界
これまで述べてきたように、キャラクター(2次元)とそれを演じる声優(3次元)の境界線は曖昧になってきている。キャラクターを演じた声優がミュージカルに出演したりライブを行うことを「2.5次元」と呼称する流れがあったが、現在はあまり聞かれない。もはやキャラクターとそれを演じる声優は同一視されるキライがあり、2次元と3次元ないしは現実と虚構の境界はさらに曖昧になってくるのだ。これによってキャラクター(声優)の神聖性が一気に上昇してしまい、新たな火種となってしまうのである。
・Vtuberの登場
インターネットが世界的に普及しはじめた2000年代前半。ある動画サイトが立ち上がった。それは今や誰もが知っている「Youtube」である。当時は機器や回線の処理能力の関係で高画質かつ長時間の投稿は出来ない粗末なものであったが、現在では4kや8kといった高画質動画だったり、ライブ放送が出来るようになったりと当時とは比べ物にならないほど機能を有したサイトとなっている。2010年代になると投稿動画に付けた広告から利益を得られるようになり、「Youtuber」というYoutubeに動画投稿をして生活する人物が現れ始めると、世界規模で雨後の竹の子のように多くのYoutuberがデビューした。
そして2016年、新たなYoutuberが誕生する。それが「バーチャルYoutuber(Vtuber)」だ。Vtuberはフェイストラッキングやモーションキャプチャ等の画像処理ソフトを用いて事前に用意した3Dモデルをリアルタイムで動かすことが出来る。これによってあたかもキャラクターが生きてる様なリアル(?)さを演出することができるのだ。これは大きな転換である。これまでは事前に作られたキャラクターの動きに対して声を当てていたものが、声優の動きと声、または表情に合わせてキャラクターが動くという形になったのだ。2次元美少女がリアルに動く、まさにおたくの理想へ一歩近づいた瞬間だ。
・スーパーチャット機能の実装
Youtubeの新機能「スーパーチャット」の実装がVtuberブームの過熱に拍車をかけることになる。スーパーチャットとは、Youtubeライブ配信で使用できる投げ銭のことで、配信者と視聴者へ自分のコメントを色付きで一定時間表示できる機能である。時間と投稿できる文字数と色は支払った額によって異なる。
この機能によって支払う金額が多ければ多いほど、自分の「推し」にコメントが読まれるということはその瞬間だけ「推し」は自分の存在を認知し、独占できるのだ。そして他の視聴者に対して優越感を得られる。したがってスーパーチャットはAKB48の投票券や握手券を発展させたシステムなのだ。これまで述べてきたように、集団から個へのファンの細分化と、デジタルコンテンツへの課金に対する価値観の変化、そしてキャラクターと声優の同一化であるVtuber、そして元来備わっているおたくの気質、すなわち自己承認欲求として他者に対する優越感と独占欲という様々な要素が今日のVtuberブームの根幹なのではないだろうか。
・おたくビジネスの光と闇
おたくの祭典として一般認知されて久しい「コミックマーケット」。近年はコロナの影響で入場規制などを行っているが、それまでは国内外からなんと3日間で60万人もの人間が押し寄せた、世界最大規模の同人誌即売会である。それまで「おたく」とういう言葉がレッテルだったものが、「漫画やアニメが好きな人」というライトなイメージが浸透し始めたからであろう。こういったキャラクターコンテンツビジネスも手を変え品を変えてありとあらゆる媒体で目にかかる様になった。それまでの漫画やアニメはおたくだけの物ではなくなったのである。裾野は広がった事でおたく市場が拡大を続けているが、当然光だけでは無く、闇の部分も存在するのだ。
インターネットの普及とSNSは密接な関係にある。パソコン通信時代はNIFTY-Serveというフォーラムで様々な事に関して議論(?)が交わされていた。インターネットが普及し始めると「あやしいわーるど」や「2ちゃんねる」等の匿名掲示板が盛り上がり、独自のインターネットカルチャーを生み出した。2000年代に入るとMixiを始めTwitterなどのSNSがサービスを開始。スマホの普及と伴って爆発的にユーザー数を拡大していく。そういった中、「インスタ映え」や犯罪または犯罪スレスレな行為を動画でSNSにアップする「バカッター」という人の歪んだ承認欲求が散見されるようになると、連日どこかで「炎上」する事態となってしまった。これは少数の当事者のやり取りが何千、何億というインターネットユーザーに発見しやすいSNSのシステム(アルゴリズム)によるもので、人は当事者でないほどに声が大きく、対岸の火事という無責任な発言が多くなるものだ。
・アイドルはうんこしない論
そもそもアイドルの神聖性はどこから発生したのだろうか。誰が言ったか「アイドルはうんこをしない」はファンのアイドル観を見事に表現した言葉であろう。アイドルは清純で神聖なものでなければならない。アイドルはファンにとって人ならざるものであり、人間性は極力排除したいのである。よってあまりにもな人間的(動物的)行為である排泄は以ての外なのだ。アイドルはいい匂いがするのが当たり前であって、排泄物の香りなどはしない。たとえ排泄してもその物体はいい香りがするはずだ。なんとも独善的な考え方であろうか。もちろん全てのファンがそう考えていない事は事実なのであるが、意識の根幹として存在するのも事実だと私は考える。
排泄よりも重要視されるのが処女性である。排泄は人によってはご褒美となるのだが、これは古くからどの民族においても共通認識として社会システムに取り組まれた価値観である。処女は一度も男性と性交を行ったことがない女性を指し。医学的には処女膜と呼ばれる膜が女性膣内に存在し、それが性交を通じて破られる事を処女喪失と言われる。
日本において、それまで子供が大人として認められるのは初潮の始まりであった。生物学的からも初潮が始まると女性は子供を生むことが出来る。平均寿命が現在に比べて短かった近代までは(現在の価値観でいうと)年端の行かない子供が、子供を身ごもることは当たり前であったのだ。こういった考え方は現在でも残っており、初潮を迎えた際には赤飯を炊くという習わしはこういった考え方の名残なのである。ところで日本における家族制度というのはそれまでは封建的な家父長制が主流であった。戦後、女性の地位向上運動や価値観が変化していき、「「戦後、強くなったのは女性とストッキングである」という言葉も口にされるようになった。近年では男女平等という考え方が急速に広まりつつあり、まだ課題は山積であるものの、女性の社会進出が当たり前の時代となった。経済成長による貧困の減少と福祉制度の充実による平均寿命増加、そして最高学府(大学)への進学率の向上によって、それまで初潮=成人という図式にも変化が見られ始めた。一般的に初潮は10~15才から始まると言われており、これは小学校高学年から中学生にあたる。現代人のイメージで中学生はまだまだ思春期真っ盛りの子供であるし、言ってしまえば今年から引き下げられた成人年齢18才だって子供である。個人的な経験からいうと高卒で就職した友人と卒業後約1年経ってから会った際にとても大人と感じたことがある。そう考えれば大学まで進学すると22才までは子供なのだ。そうなると初潮を迎えた女性は身体的には成熟しているにも関わらず15歳から22歳までの7年間が空白となってしまう。そんな彼女らは子供とも大人ともつかない時期をどう過ごすのだろうか。
・少女カルチャーの誕生
1989年に発行された「少女民俗学」で著者の大塚英志は、少女とは初潮を迎え身体的には成熟しているが大人として認められない期間のことと定義している。
1970~80年代の中学校・高校では全国どこの学校でも閉鎖的で封建的な校風だった。教師の権力が強く、非常に厳しい校則という締め付けられた空間において少年少女達はカウンターカルチャーが誕生した。男子では「不良カルチャー」が、女子においては「少女カルチャー」が生まれた。
ここでは「少女カルチャー」について注目して行こう。彼女たちはお互いのコミュニケーションツールとしての文字に着目した。変形文字、いわゆる「丸文字」である。文字の変形は時代の移り変わりと共に「ベル文字」、「ギャル文字」などと変化していくものの、どれも地続きなカルチャーとなった。90年代に入ると「たまごっち」や「プリント倶楽部」、「ルーズソクス」、「コギャル」など、東京の渋谷や原宿を中心に少女カルチャーが全国へ波及していった。これによって少女たちは独自のカルチャーとアイデンティを確立するのだ。この頃の少女カルチャーについては秋本治「こちら葛飾区亀有公園前派出所」にて詳細が描かれているので参照されたい。
・「少女」の象徴
「少女」を「少女」としてたらしめているものは何なのだろうか。それはずばり「制服」と「処女」であろう。まず前者の「制服」だが、少女である中学生から高校生では一般の公立学校であるならば学校指定の制服を着ることが義務つけられている。制服のデザインの良し悪しで進路先を決めるという少女もいるほど、彼女らにとっても重要なアイテムなのであろうか。少女たちは制服に身を包んでいる間は自他共に認められた少女となるのだ。これは年齢に関係なくコスチュームプレイの一環で、制服を切る大人たちも自らを「少女」へ変身(または若返り)の為に制服を着ることがある。それほどまでに制服には「少女」アイコンとしての確固たる地位となった。
では、アイドルはどうだろうか。AKB48を始め乃木坂46や欅坂46、ももいろクローバーZ、でんぱ組.incに至るまで皆同一のコスチューム(制服)に身を包んでいることに注目されたい。アイドルにおける制服の存在はグループ全体の世界観の統一に加えて各メンバーの個性の強調という意味合いがある。そしてこれまで語ってきた様に「少女」であることを演出するためである。そして「少女」であるためには「処女」でなければならない。処女は清純の象徴であり神聖性の証明だ。処女でなければ「少女」ではなくなってしまう。だからこそファンは処女性を求めるし、アイドル本人もそれを匂わせない様にしなければならない。それはファンとアイドル間の暗黙の了解という訳ではなく、不文律なのだ。1980年に人気絶頂の中、結婚して芸能界を引退した山口百恵をはじめ、アイドルにも結婚、引退というものは当然の出来事であったのだ。この頃はまだアイドルに求められる神聖性はそれほどでもなかった。そしてアイドル冬の時代である1990年代を経て到来した今日のアイドルブーム。おたくをターゲットにしたアイドルには神聖性が要求されるようになり、処女性を破壊する恋愛などは絶対に避けなければならなくなったのだ。だからこそ近年では恋愛禁止を謳ったり、仄めかす言動をするだけで謝罪を強いられる事になってしまったのだ。
・まとめ
①ファンの変質
それまでアイドルは1人ないしは少人数であった。それがメンバー数の増加によって、メンバーそれぞれの個性に注目が浴び、それまでのグループとして応援する形から個別に応援する「推し」という概念が生まれ、ファンが先鋭化した。
②キャラクター(2次元)と声優(3次元)の境界が曖昧になる。
2000年以降、キャラクターを演じていた声優が本業以外での活動が活発となり、進んで顔を出してグラビア撮影を行うなどのアイドル化が加速。コンテンツもアイドルを扱った作品がヒットすることでキャラクターと声優の同一化が当たり前となった。そんな中、Youtube上で「Vtuber」というキャプチャ技術を用いた声優とキャラクターが融合したコンテンツが誕生し、一大コンテンツとして成長した。
③デジタルコンテンツへの価値観の変化
インターネットをはじめとするデジタルコンテンツはそれまで無料という基本的な概念が存在した。それは当時からグレーなものだったが、世界的な法整備の流れによって違法として扱われ、価値観が変化していった。その後、オンラインゲームやソーシャルゲームの登場やサブスクリプションサービスの普及に伴って、デジタルコンテンツへ使用料を支払うという事が当然となり、投げ銭への敷居は低くなった。
④「少女」という聖域
それまでの子供と成人の境界は「初潮」の有無であった。それが戦後に生活水準の向上による進学率の増加によって、社会進出(生産者)への時期が18歳から22歳と遅くなる。身体的には成熟しながらも保護される立場で独自の少女カルチャーを構築していった。そして少女であるためには「処女」であり、「制服」が少女の象徴となる。
⑤アイドルの少女化
カウターカルチャーとして生まれた少女カルチャーをアイドルは取り込む事に成功する。その少女性を保つために恋愛を禁止し、ファンもそれを当たり前と考えるようになる。こういった関係から、しばしば炎上騒動が目につくようになった。
●まとめのまとめ
アイドルに求められる「少女性」。それまで一線を画していたキャラクター(2次元)と声優(3次元)との同一化、そして声優のアイドル化。それを全て内包した新コンテンツである「Vtuber」の登場によってこれらのコンテンツは新しい段階に来ている。そしてグループとしての応援から個人への応援による先鋭化とCDやグッズ購入による間接的な支援ではなく、スーパーチャットによる直接的な支援による自己承認欲求と優越感を満足させるような歪な構造によって、常に炎上騒動と隣合わせなのだ。
今回はVtuberを取り巻く環境や歴史について思索してみた。次回は本題である「正しいガチ恋のA to Z」について語っていきたい。