「まさに"ワンダー・フル"だと思いませんか?」
一般的に人間には5感と呼ばれる5種類の感覚器官を有している。5感はご存知の通り視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚である。これらの感覚はどれ一つ失っても生活に大変な支障をきたしてしまう。例えば今も猛威をふるっている新型コロナウィルスの症状として味覚がなくなる(弱くなる)事が挙げられるだろう。味覚が無くなると何を食べても味がせず、毎日の楽しみである食事が本当の意味で味気なくなってしまい、人生の楽しみの大半を失ってしまうし、視覚に関しては人間が得る外部情報の7割を目からの視覚情報に頼っているということから、日常生活においてにどれほど不便になるかは想像に難くないだろう。
また人間には5感に加えて未知なる感覚器官を有しているという主張もある。いわゆる第6感だ。それは心霊的な存在を感じるものであったり、テレパシーであったりなど様々である。人間は高度なセンサー(感覚器官)とコンピュータ(脳)によって複雑な処理と補完を行う事からこうした第6感と呼ばれる感覚を得てしまう人が現れるという意見や、まだ発見されていない感覚器官がそれらの事象を感じ取っているという意見まで様々だ。
さて、今回紹介する本は谷村新司「谷村新司の不思議すぎる話」である。本書は2014年にマガジンハウスから発行されたエッセイ集である。本書の著者である谷村新司は1971年にフォーク・ロックバンド「アリス」を結成し、チンペイこと谷村新司、ベーヤンこと堀内孝雄、そしてキンチャンこと矢沢透の3人構成となっている。代表曲は「冬の稲妻」、「ジョニーの子守唄」、「チャンピオン」など私自身、カラオケでよく歌う曲だ。1981年には「メンバー同士の方向性の違い」という理由で活動休止し、2008年に再開するまでそれぞれソロ活動を行っていた。ソロ活動にてチンペイは1980年にこれも往年の名曲「昴 -すばる-」を発表した。本書ではこの「昴」を巡って彼の身に置きた不思議体験や、個人的な研究と議論から導き出された独自な世界観についてとうとうと語っている。
まずは1980年に発表された「昴-すばる-」の歌詞を引用したので見てみいただきたい。
目を閉じて何も見えず
哀しくて目を開ければ
荒野に向かう道より
他に見えるものは無し
ああ砕け散る
宿命の星たちよ
せめて密やかに
その身を照らせよ
我は行く蒼白き頬のままで
我は行くさらば昴よ
呼吸をすれば胸の中
こがらしは吠き続ける
されど我が胸は熱く
夢を追い続けるなり
嗚呼さんざめく
名も無き星たちよ
せめて鮮やかに
その身を終われよ
我も行く心の命ずるままに
我も行くさらば昴よ
嗚呼いつの日か
誰かがこの道を
ああいつの日か誰かがこの道を
我は行く蒼白き頬のままで
我は行くさらば昴よ
我も行くさらば昴よ
昴-すばる- 作詞/作曲 谷村新司 1980年
一見すると難解でポエム的な歌詞である。実は当の本人もこの歌詞についてかなり難解で、歌詞が意味する壮大なメッセージについて当時は全く気づいて居なかったのである。この曲はサビ後の1フレーズ「さらば昴よ」だけがふと頭に浮かんで、作られたという経緯があるのだが、これもある人々からのメッセージがヒントになっている。
・昴-すばる-
そもそもチンペイが「昴」ともう一度向き合おうと決意したのは今から19年前の2003年のことだった。当時55歳のチンペイは突然発症した帯状疱疹をきっかけに「昴」と向き合うことにしたのだ。チンペイがインターネットで検索しているとあるサイトが見つかった。それは「プレアデスからのメッセージ」という個人ホームページであった。大量に書かれたテキストをスクロールしながら読み飛ばしていくと、最後の文章が目が入ってきたのだという。
そこには「我々からのメッセージは全てこの歌詞に込められています。」と書かれ、その下に昴の歌詞があったのだ。それを観た瞬間、チンペイは運命的な出会いと確信し、鳥肌がたったと書いている。その日はサイトをブックマークして、明日、改めてアクセスを試みたのだがサーバーからの応答がないというメッセージが映し出されるのみで、二度とそのサイトにアクセスすることが出来なかったのだ。これをきっかけに自ら気になったことについて積極的に研究していくことになっていく。
先述したホームページとの出会いから2年後。ライブツアーをしていた中国の宿泊先で突然彼の頭に声が聞こえてきた。「これからダイレクトですよ」。それは日本語で、性別や国籍を超えたフラットなトーンだったという。
チンペイはすぐさまその発信源がプレアデスからと理解した。彼とプレアデスたちは繋がったのだ。それからというもの事ある毎にプレアデスからのメッセージを受信するようになったチンペイはそれまで隠されていた様々な真実へと近づくことになるのだ。
そして本書では「まさに”ワンダー・フル”だと思いませんか?」をキャッチフレーズとしてよく使用している。最初は面白がっていたのだが、後半になるにつれて頻出しはじめ、少しゾッとしたのも印象的だ。
話を昴の歌詞について戻そう。
まずは一番最初に頭に浮かんだとういうフレーズ「さらば昴よ」について、チンペイはこう解釈した。そもそも昴は古来より農業における種付けや収穫の時期を把握したり、航海時に方角を確かめるために利用されてきた星である。その事から古代中国では「財の星」とも呼ばれていた。「さらば昴よ」という歌詞は、「財の星」と呼ばれた昴との決別。すなわち現代における財=物質文明への決別を表しているというのだ。
さらに「蒼白き頬のままで」という部分についても言及している。確かに、この一文を拾い出してみると、意味不明な歌詞である。そもそも「蒼白き頬」とは何を指しているのか。チンペイはヒンドゥー教の最高神「シヴァ」との繋がりを言及している。ヒンドゥー教においてシヴァ神は破壊と創造の神として崇められている。そこでチンペイは旧来世界(物質文明)を破壊し、新世界(精神文明)を創造する神として関連付けているのだ。その根拠としてシヴァ神のヴィジュアルも関連するとのことだ。ネットでシヴァ神を検索してみると、青い肌をしたシヴァ神の画像が大量にヒットするだろう。このシヴァ神の肌の色と「蒼白き頬のままで」がリンクしているというのだ。
物質文明からの決別、そして精神文明への移行。それから導かれるのはスピリチュアル(ニューエイジ)である。チンペイは1948年生まれということであるから、団塊の世代、ヒッピームーブメントの時代を過ごしている事から少なからず影響はあるだろう。
・日ユ同祖論
チンペイの妄想は加速していく。第2章では「日本の不思議すぎる話」というタイトルで、日ユ同祖論を説いている。
日ユ同祖論は現在、学術的な証明がされていない都市伝説的な考え方で、日本人とユダヤ人の祖先が同じだったというものだ。例えばユダヤ教のシンボルであるダビデの六芒星と伊勢神宮の籠目紋が同じ形であったり、日本語とヘブライ語で約5000単語にもわたって同音同義語が存在するということだ。チンペイは本章で1000円札に描かれた富士山について言及している。彼は水面に映った富士山の形状が歪で、モーセが十戒を神から受け取った聖地「シナイ山」にそっくりだと主張している。冷静に考えれば富士山は完璧な左右対称ではないから水面に映る富士山は鏡映しなっている上、角度によって縦方向に歪んで映るのだから、当然のことなのだが...野暮な事を言ってはいけない。
日本において日ユ同祖論を支持する層は厚く、青森の戸来村では「キリストの墓」が実際に存在し、珍スポットとして有名だ。戸来村(ヘライむら)も「ヘブライ」が訛ったものだという言い伝えもあるのだ。隠れキリシタンが逃げ落ちた先で興した村なのか、それとも本当にキリストが...。
・日本列島世界縮図論
日本列島。天気予報で見慣れた私たちにはお馴染みの形状だが、世界をみてみると案外変わった形をしてたりする。そこに目を付けたのは、大本教の出口王仁三郎だ。関西方面を中心に信仰を広めていった大本教だが、戦前の政府によって翻弄され、衰退してしまった。出口は、日本列島の形状が世界の国々を合わせた形だと主張していたのだ。もちろんチンペイも出口の論理を根拠として語っている。
以前見た「水曜日のダウンタウン」というバラエティ番組で「日本地図、四国がオーストラリアになっても気づかない説」をふと思い出したが、これも制作側に大本教の関係者か、チンペイに感化されたのだろう。
・その他
気になる箇所に付箋を付けていったのだが、全て紹介していくと時間と気力がもたない。最後は概要だけ紹介していきたい。
まずは、単為生殖。単為生殖は以前こちらの記事でも紹介したが、まぁトンでも理論の域は越えられない。クリトリスを振動させると単為生殖するのならば、電マでオナニーをしてる女性は子供が出来てしまうことになる。
続いて色について。らせんについて。人間とらせんには密接な関係があり、例えば生命の設計図「DNA」は2重らせん構造をしている。さらに聴覚を司る蝸牛はその名の通り、カタツムリの殻の様に渦巻き型をしている。そもそも自然界においてもらせん構造はよく観られ、ロマネスコなどの螺旋状に相似形を展開するフラクタル構造を有する野菜もあったりする。マクロな視点で考えてみると、宇宙に浮かぶ銀河も螺旋構造をしている。よって体と宇宙は繋がっているのだという主張だ。
らせんと繋がる話として、「遺伝子音楽」についても言及していた。皆さんは御存知だろうか、Youtubeで「睡眠 音楽」と検索すると大量にこういった音楽がヒットする。こういった音楽のサムネイルには大概「5分で寝落ちする」や「DNAを修復する」といった文言が書かれている。かくゆう私も寝る際にアンビエント・ミュージックとしてこの手の音楽を聞きながら就寝しているのだが、はたしてDNAは修復しているのだろうか。チャネラーであり、シンガーソングライターでもあるチンペイがこういったトピックに飛びつかない訳がなく、音楽とDNAの塩基配列との関係性について語っていた。
・プレアデス星団とオリオン星人
最後に私がオリオン星人と自称する人と会った話をしたい。珍スポットを巡るのにハマっていた当時、東京は四谷にある「国際宇宙村」という骨董屋とパワーストーンを販売する店へと訪れた。店内に入るとそこには白髪で白いひげをたくわえた老人が、オートミールのような奇妙な食べ物を食べていた。それを観た瞬間、只者ではないなと確信し話を聞いてみることにしたのだ。するとその老人こと影山八郎は、自らを「オリオン星人」と呼び、はるばるオリオン星から地球までやってきたそうだ。ここで聡明な読者はお気づきのことだろう。そもそもオリオン星は存在しない。オリオン座という星座があり、オリオン座はベテルギウスを始めリゲル、ベラトリックス、ミンタカ、アルニラム、アルニタクの5つの恒星で形つくられている。オリオン星も無ければ、星座は太陽と同じ恒星であるため生物が生存できる環境ではないのだ。もしかしたら、地球人の我々にわかりやすく説明するために便宜上「オリオン座の方から来ました」と言ってるのかもしれない。それはそれで「消防署の方から来ました」と同じ胡散臭さを感じてしまう。結局、オリオン星人からパワーシールと隕石を購入し、帰路につこうとしたのだが、帰り際に「明日、いいともに出演するから見てくれ」と声をかけられたのが未だに印象的である。さらに余談であるが、会話の中で「新聞の取材を受けた」と自慢げに話をしていたオリオン星人だが、切り抜きを見せてもらうと新聞は新聞でも東スポだし、インタビュー相手がなぎら健壱と言うことが個人的に面白すぎて話の鉄板ネタとして今も語り継いでいるのだ(相手が50代位でないとポカンとされるが)。
こういった経験を踏まえてみると、もしかしたらチンペイが交信したプレアデス星団はオリオン星人と同じ類のものなのかもしれない。サブカルは点と点を線で繋ぐ行為である。約10年越しに繋がったオリオン星人とプレアデス星団。これがあるからサブカルは辞められない。
「我は行く さらば昴よ」
嗚呼、チンペイよお前は何処へ行くのか。