皆さんこんにちは。
店主のさしみです。
本日7/23は東京オリンピックの開会式ですが、協議ではないところで盛り上がっているみたいですね。
特にサブカル界隈で色々とあるようで思う所は色々とあるのですが、現時点では触れないことにします。
それよりも最近はクラシックカメラにハマっていて買うカメラがどんどん古くなっていき、とうとう戦前に生産された古いカメラを入手してしまったのが個人的なトピックです笑。
カメラについてもいつかお話していきたいですね。
さて、今回はあえて小難しいタイトルにしてみましたが、要は異世界転生モノは何故人気なのかを考えてみたという話です。振り返ってみると私自身も漫画やアニメを含めてるとかなりの作品数見てきたという事に気付きました。なぜ読んで(見て)しまうのか、その魅力(?)とは何なのか、自己分析を兼ねて考察してみたので、どうぞお楽しみください。
まずは”異世界転生モノ”について。
異世界転生モノとは小説の投稿や交流ができるSNS「小説家になろう」で1ジャンルとして確立した作品群の事を指します(細かい事をいうと少し違いますが、広義として異世界転生モノとして統一します)。別名としてSNSの名前からもじった「なろう系」とも呼ばれる場合があります。異世界転生モノというジャンルはどういったものなのか私が勝手に特徴を分類してみました。
①主人公は現世(学校や職場)で虐げられているか、引きこもりやニートで社会から落伍している。
②不慮の事故により死亡する。または異世界(ゲーム)へ飛ばされてしまう。
③転生時に反則(チート)級のスキルを得るか、神から協力な加護を得られる。
④転生先は中世ヨーロッパ風で魔法や魔物が存在する。RPGの様なシステムが備わっている。
⑤強力なスキルや現代科学の知識から異世界住民を圧倒する。本人は無自覚である場合が多い。
⑥どんな強力な敵や困難に出くわしたとしても必ず最後は上手くいく。
おおまかに特徴を述べると大体こんなものでしょうか。それでは1項目ごとに説明していきましょう。
”虐げられている”というのはいわゆるイジメやブラック企業で連日サビ残を強いられているという事です。異世界転生モノの主人公がこういった設定が多いのは、読者と主人公を重ねやすくするのが目的の一つです。
イジメ問題は近年特に注目されています。山田花子特集でも書きましたが、誰しもがイジメに対して加害者にも被害者にも、そして傍観者にもなった経験があるかと思います。また公益財団法人連合総合生活開発研究所の調査では自身が勤める会社がブラック企業と認識している割合が25.8%(2019年)と1/4以上の人が占めているという結果から、主人公が他人事ではない=もしかしたら自分も転生できるかもしれないという期待が生じるのです。
また、物語の導入部分で主人公を追い詰める事によって転生後のカタルシスを生みやすくするという構成上の意図もあるでしょう。
何故かトラックに引かれる事が多いです。特に誰かを助けようとして事故に合う事で転生時に有利に働くこともあります。トラックに引かれると聞くと、漫☆画太郎のトラックオチを思い浮かべてしまうのは私だけでしょうか笑。また、事故以外のパターンでは異世界へ飛ばされてしまったり、オンラインゲーム(MMORPG)へ取り込まれてしまうというものもあります。これを異世界”転生”モノとして扱っていいのか悩みますが、今回は一緒くたにします。
伝説級の武器をもらうというより、チート級のスキルをもらうというのが特筆するべき点でしょう。これは”特技もなにもない自分が新たにスキルを得る”という自己肯定感を増幅させ”俺は本気を出したら凄いんだ”という思い込みを(作中で)実現させることで自己肯定感の増幅に一役買ていると考えられます。
近年の作品では一見使いどころのないスキルですが主人公の機転や発想によってぶっ壊れスキルへ成長するというパターンも散見されます。
そしてどの作品に共通するのが、ほぼ無条件で女(男)の子にモテるという点が特徴です。ここでポイントなのが、スキルを用いていないという所でしょう。こういった作品はスキルを使ってモテてしまってはいけないのです。それではただのエロ作品へとなってしまうからです。この微妙な線引きというのは意外と重要なのです。
異世界転生モノはゲームに取り込まれる系の作品を含めて、すべての作品が中世ヨーロッパが舞台で錬金術や魔法、魔物がいる世界として描かれていますが、考えてみたらこれは異常です。異世界=中世ヨーロッパというのは日本人の遺伝子に刷り込まれたものなのでしょうか。これはこれで研究のしがいがありそうです笑。
そして⑤にも通じる事ですが錬金術や魔法が主流の異世界というのは逆に科学技術が遅れた世界とも捉えることができます。大体は中世ヨーロッパ時代で工学なや化学は停滞しているので、そこに主人公が付け入るスキが生じるのです。
RPGによくあるレベルやスキル、HP、MPなどの概念がその世界には備わっていたりします。これは「強くてニューゲーム的」な要素を孕んでいるのではないでしょうか。まぁ私自身、ほとんどゲームをしないのでよくわかりませんが笑。
前項でも触れましたが、科学技術が停滞した異世界で主人公程度の知識でも住人たちにはマウントを取れてしまう。そしてそれを無自覚で行う事で卑しさを隠す。こいうったパターンが多く、「賢者の孫」の主人公が吐く「またオレ何かやっちゃいました?」という台詞が全てを物語っているといっても過言ではないでしょう。もし本当にその立場になった場合、きっと精神的な勃起が収まらないと思います。
今回の記事で一番重要なのが本項です。たとえどんな強力な敵に翻弄されたり、政治的な謀略に見舞われても必ず最後は上手く事が収まる。これが異世界転生モノの根幹たる部分です。
”この後の展開が読めない”や”次の巻まで待てない”といったワクワク感、ドキドキ感、ハラハラ感というのは疲れるのです。作品の消費速度が加速する現代で、次の巻(話)が発売されるまで待つのが苦痛になりえるのです。そういった消費側の都合がご都合至上主義ともいえる異世界転生モノと合致した事で1ジャンルとして繁栄しているのではないでしょうか。
たとえ主人公が追い詰められても必ず最後は何とかなるから次の巻(話)まで安心して待てる。その間は別の作品を消費していればよい。といった考えや、ワクワクやドキドキ感も無いけど何も考えないで済むし、(心の)金玉は揉んでくれるし心地いい。といった思考が働くのでしょう。
「必ず最後は何とかなる」という展開の作品は異世界転生モノに限ったことではなく、「遠山の金さん」や「水戸黄門」、「戦隊ヒーロー」、「アンパンマン」も物語の終盤、黄門様やヒーローが悪いヤツをやっつけるという、パターン化された作品にはよくある特徴なのです。
異世界転生モノはそれに加えて、現世では落伍していた自分が、異世界の住人に対して圧倒的な力と知識でマウントを取ることが出来るという金玉をニギニギと愛撫してくれるというのが加わるのです。
そしてもう一つの特徴が「社会から早くドロップアウトして自分が自由になれる時間が欲しい」という展開です。
現代の20~30代は困難を乗り越えるカタルシスよりも波風立たずに好きな事をしていたいという考えが広まっています。ビジネス誌「PRESIDENT」のアンケート調査によると残業代よりもプライベートの時間を大切にしたいという人(平均年齢36.1歳)が1/4を占めるという結果からも伺えます。
団塊の世代が少しでも出世して金を稼いで少しでも生活を豊かにしたいという考えから、お金はそこそこにプライベートを充実させたいという考え方が作品として現れたのが異世界転生モノなのでしょう。
さて、ここからは余談です。店主さしみの妄言をお楽しみください。大ヒット作、BLUE GIAINTと異世界転生モノの意外な共通点と、創作物が抱える問題の本質を考察してみました。
BLUE GIAINTは石塚真一が諸学館のビックコミックにて連載中のシリーズとなります。テナーサックス奏者の主人公「宮本 大」が東北の田舎の高校生から世界トップのサックスプレイヤーになるというストーリーです。2013年から連載が開始し、地元の仙台と東京を描いた「BLUE GIAINT」、ヨーロッパツアーを描いた「BLUE GIAINT SUPREME」、アメリカへ渡って修行へ出る「BLUE GIAINT EXPLORER」が現在連載中です。
この作品の特徴は、世界トップのサックスプレイヤーへ登り詰めるストーリーと、登り詰めた後(現代)に今まで関係を築いてきた関係者からのインタビューといった二方向から描くといった構成になっています。物語のオチが既に決まっており、どんな困難や壁を主人公がぶつかっても必ず最後は上手くいく(世界的プレイヤーになる)という事です。これは異世界転生モノと同じといってもいいのではないでしょうか。
ちなみに現代のインタビューではあくまでも関係者しか出てこず、主人公がどんな成長しているのかは間接的にしか知りえないという工夫はされていますので、ハラハラやドキドキ感は少なく、ワクワク感を保ったまま読み進められるという構成はすごく計算されているようにも感じます。
創作物(ここでは漫画、アニメ、映画など)に必ず付きまとう問題、それは最終回です。「終わり良ければ総て良し」という言葉がありますが最終回を読者が受け入れられず、作品そのものに対して嫌悪感を抱いてしまうという話は多々あります。
みなさんもそういった経験があるかと思いますが、よく話題に挙がるのは浦沢直樹の「MONSTER」や「20世紀少年」、江川達也「東京大学物語」、橋口たかし「焼きたてジャパン」、武井宏之「シャーマンキング」、車田正美「男坂」などが良く聞くタイトルです。そして石塚真一「岳」も最終回は未だに物議を醸しました。
「岳」と「BLUE GIAINT」を読んできた人(さしみ)にとってこの最終回問題というのが、BLUE GIAINTの構成がとても安心できるという要素になっていたります。要は最終回は約束されている安心感ですね笑。
「岳」の最終回で絶望した人に限らず、最終回(オチ)を早く知りたいという時流があり、その象徴として「ファスト映画」や「1.5倍、2倍速視聴」だったりすると考えています。これは作品の長期連載化というものの弊害の一つとも言えるのかもしれません。
手塚治虫「ルードウィッヒ・B」や「ネオ・ファウスト」、「火の鳥」、石ノ森章太郎「サイボーグ009」、近年だと三浦健太郎「ベルセルク」など、作者が逝去したために最終回すら読めずに未完(サイボーグ009は毛色が違うかもしれませんが)となってしまう事もあります。
早くオチを知りたいというのが人間の性なのかもしれませんが、「待つ」という楽しみというのも味わうのも重要な気がします。スパンがあるからこそその間に作品を咀嚼して理解を深めたり、語り合って新しい発見や解釈を得るという経緯を経ればただ消費するだけの作品ではなく、人生の糧となるはずです。
作品に効率を求めるのも理解できますが、それだけでは寂しいものだなと今回この記事を書いて思いました。
私自身、異世界転生モノは惰性で消費していたので、少し態度を改めていきたいですね。
さて、みなさんはどういった意見をお持ちでしょうか。たかが創作物と一蹴する人もいれば、別の意見をお持ちの方もいるかもしれませんが、正解は人それぞれです。しかし、創作物をただ消費するするだけではもったいないので、一度振り返ってみてはいかがでしょうか。
今回はとても真面目な締めくくりとなってしまいました。現在、異世界転生モノも細分化が進み、今回紹介した特徴以外を持つ作品やその特徴を逆手にとった作品もありますので、興味がある方は読んでみてはいかがでしょうか。
それではまた次回をお楽しみお待ちいただければと思います。
店主さしみ