
皆さんこんにちは。
店主のさしみです。
先週、Twitterの「スペース」機能を利用してブログ公開日に記事の内容と書ききれなかった部分についてお話させてもらいました。これからも定期的にブログの公開に合わせて開催していこうと思いますので、機会があればリスナーとしても発言者としてご参加いただけると嬉しい限りです。
さて、そのスペースの中で話題に上がった「山田花子」についてフォロワーさんとお話した中で、山田花子の魅力をもっと話したい!ということになりまして、今回は山田花子を特集しようと思います。
このブログの読者の皆さんは「山田花子」と聞けば読んだことはなくても、名前は知っているかと思いますが、やはり一般的には芸人の「山田花子」がまっさきに思い浮かべるのでしょうか。
①山田花子とは
まずは山田花子の来歴を「魂のアソコ」を参考に簡単にまとめてみました。

●山田花子(本名:高市由美)
1967年:6月10日、東京都世田谷区にて父・高市俊皓、母・裕子の間に生まれる。父親はトロツキストで著述家として活動していた。母親は教師だった。
1970年:東京都多摩市の団地(百草団地?)へ引っ越す。幼少期の山田花子は内気な性格で、友達と遊ぶより空想するのを好んだそうだ。画用紙に絵を描き、自分で綴じた絵本を作成していた。
1974年:多摩市立竜ヶ峰小学校へ入学。当時は小鳥や猫、ハムスターなどの小動物を飼っていた。父親の影響から漫画に夢中になり、週刊少年ジャンプや週刊少年マガジン、なかよし、りぼん等を愛読。
1980年:多摩市立和田中学校へ入学。いじめにあいリストカットを繰り返し、中学二年生でガス自殺未遂を図る。
1983年:「なかよしデラックス」で「明るい仲間」が入選し掲載される。同年5月号から「人間シンボーだ」を連載開始。ガロの定期購読を始める。
1986年:日本デザイン専門学校へ入学。ガロに投稿をするも掲載されず落胆。ヤングマガジンへの投稿を始める。
1987年:バンド「グラジオラス」を結成。数回ライブを行い、同名の同人誌を製作。ヤングマガジン月刊新人漫画賞で奨励賞を受賞。
1989年:家族に内密に中野でアパートを借りる。ヤングマガジンで連載していた「神の悪フザケ」の単行本を出版。
1990年:青林堂より2冊目となる「嘆きの天使」を出版。
1991年:白夜書房「コミックパチンカーワールド」にて「チューリップ幻術」を連載開始。TVK「ファンキートマト’91」や読売テレビ「元気が出るテレビ」などに出演。
1992年:髪を切り落とし、飯田橋駅付近で放心状態のところを保護。妹が中野のアパートへ連れ帰るが、様子がおかしいため実家へ連れ戻すことに。翌日には中野のアパートへ戻り、解雇されたアルバイト先へ向かう。警察から両親へ連絡が行き、実家へ連れ戻すものの錯乱状態に陥り、3月4日に桜が丘記念病院への入院が決まる。5月23日退院。実家で静養するため荷物を取りに中野のアパートへ戻り、いったん実家に戻るもののふらりと外出したまま行方不明に。その日の夕方、11階建てのマンション(百草団地?)より投身自殺。享年24歳。
山田花子はペンネームで、初期は「裏町かもめ」や「山田ゆうこ」というペンネームも使用していたようです。今回、山田花子の特集を組むにあたって来歴をまとめてみると、一見活躍の場がどんどん広がりこれからというタイミングの自殺という印象があります。24年というのはあまりにも短い人生です。自分がすでに24歳から7年もたってしまっている事になんとも言えない感情になりました。
さて、つづいてこれまでの作品リスト(単行本)を紹介ます。
・神の悪フザケ:1989年(講談社)
・嘆きの天使:1990年(青林堂)
・華咲ける孤独:1993年(青林堂)
・魂のアソコ:1996年(青林堂)
・自殺直前日記:1996年(太田出版)
・からっぽの世界:1998年(青林工藝舎)
生前、出版した作品が「神の悪フザケ」と「嘆きの天使」というのはまさに寡作ですね。「魂のアソコ」ではデビュー作品や雑誌で連載をしていたコラムなどが掲載されていますし、今まで書きためた山田花子の日記をそのまま載せています。今回は触れませんが父親がそれらの日記を編纂した「自殺直前日記」もあります。漫画制作や人との関わりに関する悩みなどが赤裸々に綴られており、山田花子の一面を覗くことが出来ます。

②山田花子の魅力とは
個人的に感じた山田花子の魅力について紹介します。「私が感じる魅力はこうだよ!」という方は是非コメントをお寄せいただけると嬉しい限りです。
・鋭い観察眼
山田花子作品の最大の魅力といえば、まるで現実から切り取って来たかの様なほどリアルに描かれた人物描写でしょう。それは体験だけでなく対象を様々な視点からしっかりと観察しなければならないほど緻密かつ巧妙に作品へ落とし込んでいます。
また、それを表現しうる画力も非常に高い事が伺えます。一見ヘタウマ風に描かれていますが、中高専門地代のペン画やイラストから画力の高さを伺えます。しかしそれでも表現しきれない部分については枠外に一言を加えて修飾していく手法をとっています。この一言がまたなかなか心をえぐるものなので、注目して読むのも面白いです。

そして常にいじめや世間と感覚(価値観や考え方)がズレている人物にスポットを当てて作品を描いてきています。そういったテーマは人間社会において普遍的なものなので、他にも多くの作品があるかと思いますが、それらの作品にはない山田花子独特の凄みがあります。
・登場人物の視点
今回改めて作品を読み返して見ると面白い事を発見しました。それは登場人物の視点についてです。
山田花子の作品は主に世間との隔たりやいじめをテーマに描かれていますが、そういった作品は他にも多々あります。それは往々にしていじめらる側の主観的な視点から描かれていますが山田花子はいじめる側の視点からも描いており、さらに加担することはないが、無関心を貫く傍観者側の視点も描いてあるのです。
主人公の視点から見れば一方的な悪意を持って襲いかかってきてるように見えるのですが、(主人公視点からの)加害者側としては取るに足らない、他愛のないコミュニケーションなのです。こういった加害者側の心の機微がしっかりと描かれているのが山田花子ならではの視点と洞察力なのでしょう。

しかしそれでは被害者側としては、たまったものじゃありません。無意識の悪意というのは無意識ということもあって本人にはなにも悪意はないのが質が悪い。もしかしたら自分がおかしいのかもしれないという自己嫌悪に陥ることもあれば、必死に主張しても周囲から理解を得られずに馬鹿にされてしまうこともあるのです。

また「いじめ」だけでなく、障害を抱えた生徒に対しての態度や扱い、それでいて大人たちに媚びを売る卑しさも非情に描ききっているのはスゴイとしか言いようがありません。
そして最後に傍観者としての視点。同級生に対して興味がない。周囲よりも少し利口なので周りがやっている幼稚な事をバカにしたように見ている。しかし実のところ社会(教室)では傍から見れば、いわゆる被害者側の人間と一緒というレッテルを貼られているのが事実なのです。実際振り返ってみれば職場や教室で「浮いている」人というのはそういった人たちが多い気がします。これは実経験があるので読んでて吐きそうになりました笑。


③おわりに
山田花子は豊かな感受性から現実を見事に切り取って作品へ昇華しています。しかし、その感受性とあまりに繊細な心が故に自ら命を絶ってしまったのではないでしょうか。
しかし、彼女が描いた作品がいまだ多くの人を虜にさせ、読まれ続けているのはとてもすごいことだと思います。近年でも学校における「いじめ」は常に社会問題として話題になることがあります。それは学校のいじめでなくても職場においてはセクハラ、パワハラなどが取り沙汰される事も多くあります
山田花子が自ら命をたって来年で30年になります。
山田花子の作品が人々の心を惹きつけているということは、残念ながらこれらの問題が解決していないという証拠なのかもしれません。
いじめた人もいじめられた人もそれを眺めた人も、そして今まさにその立場にいる人も、全ての人に読んで欲しいものです。
これから先、人間が人間である限り読まれ続けるでしょう。
今回はここまでです。
いつになるか分かりませんが、次回は自殺直前に書いた日記を元に彼女内面へフォーカスしていきたいと思います。
それではお楽しみお待ちください。
店主さしみ